どんなひとがブログ書いてるの?

2019年2月11日

小学生の頃

小学3年生ぐらいの頃はPCのプログラミングに興味を持っていましたが、家にPCが無かったので紙の上でプログラムを組んでは、PCが置いてあって、ちょっと使わせてくれる電気屋に行っては家で作成したプログラムを入力して動くか確かめたりして楽しんでました。

今から思うと、お店なので夜になれば電源が切られるし、訳の解らないプログラムを勝手に入力してるので、お店から帰った時点でリセットされてるかもしれませんが…
そう考えると、儚いですよね。

その電気屋の店員さん、勝手に使わせてくれて感謝ですね。それがあって、プログラムの勉強ができたのですから

娘が生まれた頃

娘が生まれて、喜んでいるのもつかの間でした。
嫁が出産して2週間もしないうちに亡くなってしまったのですから。
その時は流石に自分の頭の中が真っ白になりました。背に腹は変えられないと何年も連絡していなかった看護師さんに連絡してどうすればいいか聞いてしまいました。相手からすると「は?」っと思いますよね。しかし、「市区町村の福祉保健センターに連絡して」と教えてもらい、すぐに連絡しました。とりあえず、赤ちゃんには3時間置きにミルクを与えて下さい。と言われ、そこから児童相談所の職員が来るまでの数日間、ミルクを飲ませていました。ここで思うのは本当に赤ちゃんを守っていくのは大変な事だと身にしみました。
その後、保健センターの方が訪問してきてくれて赤ちゃんの育て方など教えていただきましたよ。出産前の子育て教室には全て参加していましたが復習できるのは助かります。
数日経った頃には、身も心も疲れ果ててましたね。慣れない嫁の実家に赤ちゃんと居候していた訳なので。仕事の電話がかかってきて対応したりもしてましたし。
そして、児童相談所の方から連絡があって、私の両親は亡くなっているし、嫁の父親は糖尿病、母親は美容室を個人経営している、自分も仕事を続けなければ生活が立ち行かなるということで娘は乳児院に預ける事に身内全員で決めました。
嫁の母親の実家で預かるという案もでたのですが、福島県の会津ということもあり遠すぎて会うことすら難しくなると考えて、ひとまずは児童相談所が強く勧める公的施設に預ける事に。
今から思えば、第三者の意見としては妥当です。

決まった次の日には、児童相談所の職員が娘を引き取りに来ました。
いざ娘が連れていかれると、正直、ホッとしたのと、これから娘はどうなっていくのだろうという不安のせめぎあいでした。
乳児院の空きがないらしく、暫くは病院の病室で預かることになり、病気が感染ったりとか心配するものの、自分ではどうしようもないし、引き取る環境も整っていないのでその病院に土日に会いに行く生活でした。
この頃は、このままで良いのだろうか?と何度も考えていました。

娘が2歳になって、一緒に生活して行きていこうと決め転職を決意!

娘と一緒に過ごすためにすぐに保育園にすぐに迎えに行ける職を探して、今は、娘のそんなに気兼ねなく休んだり、早退できる職場で頑張っています。給与は少ないですが、娘と一緒に居られるので幸せです!

現在

小学2年生の娘と一緒に暮らす父子家庭で
嫁、両親とそのお爺さん、お婆さんも亡くなっていて孤軍奮闘してます。

小学生の頃からPC関連が趣味でハンダ付けからプログラミングまで色々やって器用貧乏な感じです。

いざという時に身内が居ないのは精神的保険がなくてキツく思いますが、
5年以上なんとかなってるので、このまま楽しくいきたい!

ひとり親からのコメント大歓迎です!

Posted by パパドン